• 屋松院のはじまり

関が原の戦いの頃、聖蓮社岌誉露牛上人という名僧がおられました。岌誉上人は武蔵の国(埼玉県)の人で、寺院建立の志願をたてて伊勢神宮に参詣祈願し、松阪の樹敬寺の住職に就かれました。
その後、津城下に来て慶長元年(1596)に津城主富田氏から現在の地(寿町)を賜り堂宇を建築し、屋松院を含め六院を有する地島山天然寺を開かれました。
そして津の町の礎を築かれた藤堂高虎公の承認を経て、慶長20年(1615)岌誉上人のお弟子・法蓮社體誉牛山和尚により屋松院の過去帳記載が開始されました。その年を当院開基(はじまり)としています。

一部、戦災による記録焼失で言い伝えによる内容が含まれます。
  • 戦災後再建時代

昭和20年7月の戦災で、地島山天然寺の全山が焼失しました。昭和22年に仮本堂、昭和34年庫裏が再建されました。また地島山天然寺の一山組織が解散され、屋松院として独立しました。

  • 本堂再建~現在

昭和56年に鉄筋コンクリート造りの本堂が建築され、現在の本堂が再建されました。当時の記録として「本堂再建寄付募縁帖」に「経緯序」が残されています。

昭和二十年七月二十八日津市の大部分を焼土と化したかの忌まわしい大空襲の中、前住職安井舟誠上人は、身をもって御本尊如来を擁して防空壕に避難し、その後自費にて津市の建売バラックを購入して焼跡に建徳し、その中に御本尊を安置し爾後余燼未だ漂う中一日も早く御本尊安住の御堂をと発願し、二十二年には仮本堂が完成した。それは当時としては周囲の人々からも驚異の目をもって見られたものであった。これは、舟誠和尚の徳望と熱誠の結果によるものであった。以来年を経ること三十余年、現今の社会情勢に対応し告別式も営める本堂の必要性を痛感し、晩年には改築の要を口にしつつ昭和五十一年極月に遷化された。依って昭和五十二年一月世話人会に於いて本堂再建の議を諮り(中略)再建の方針が決定された。茲に本堂再建に当り、寄付募縁の各位芳名を録して、永代に伝え又各家先祖代々諸精霊の供養得脱を念じ現在諸人には大慈悲の哀愍を垂れ給はんことを願い、本尊如来宝前に奉答するものである。

本堂再建寄付募縁帖「経緯序」より抜粋

寺院概要

院号(寺院名)屋松院(おくしょういん)
開基慶長二十年(1615)
所在地三重県津市寿町15番8号
TEL059-227-2990
住職第十九世・正誉亮太 [ 安井 亮太 やすい りょうたい ]
宗旨名称:浄土宗
宗祖:法然上人[源空](1133-1212)
開宗:承安五年(1175)
本尊:阿弥陀仏[阿弥陀如来]
総本山:知恩院(京都)